教師の道を諦め、バーテンダー兼店長候補という職を捨て、アメリカに渡ったドテチン。その直後、愛読していた「パチスロ攻略マガジン」を読んで人生の転機となる決断をする。そして、土屋友朗がドテチンへと生まれ変わることになる。
――パチマガに入るきっかけはなんだったんですか。
ドテチン「いつも読んでいたスロマガにね、『パチマガ攻略軍団募集!』っていう求人を見つけたの。それで、チャレンジしてみようかなって」
――パチマガではなく、スロマガを読んで応募したんですね。
ドテチン「当時、パチマガは読んでなかったんだよね(笑)。パチスロ雑誌だってまともなのはスロマガとパチスロ必勝ガイドくらいしかなかった時代の話だよ」
――スロマガの攻略軍団になろうとは思わなかったんですか?
ドテチン「当時はパチンコもパチスロも打っていたけど、スロマガの軍団ってすごくパチスロが上手なイメージがあってね。菊嶋君(ルート。元スロマガ攻略軍団員で目押しの達人と呼ばれた)とかすごくスキルがあって、正直その中に入れるとは思ってなかった」
決して当時のドテチンはパチスロが下手だったわけではない。むしろ、スロマガ軍団のレベルが高すぎたことよりも、ドテチンの謙虚すぎる性格が二の足を踏ませたのかもしれない。
ドテチン「応募したはいいけど、2か月くらい連絡がなくてね。これはさすがに落ちたんだと思って、他の仕事を探そうかと思ったくらい。そしたら編集部から連絡が来て、面接をして、そして受かってドテチンが誕生した」
――2か月は確かに長すぎますね(笑)。
ドテチン「だから、タイミングがズレていたら、もしかしたらガイドのショッカー(パチンコ/パチスロ必勝ガイドのデータ取りスタッフ)になっていたかもしれない(笑)」
※デビュー直後の紹介文
人間は運命に翻弄されることがある。しかし、最終的には運命に導かれているようにも思える。ドテチンは運命によってパチマガに導かれたのかもしれない。
――同期は誰がいるんですか?
ドテチン「もう辞めちゃったけど、へろん(元パチマガ攻略軍団員)だね。たしか7〜8人が同時に試験を受けたと思うんだけど…当たり前だけど、みんなスーツで来るじゃない? だけど一人だけ私服の奴がいてすごく印象に残ってたの。何人受かるとかは分からないけど、少なくともコイツは落ちたなって。それが、へろん(笑)」
※昨年、パチマガ編集者の結婚式で再会したへろん(中央)
――へろんさん本人も『落ちた』って思ったでしょうね(笑)。
ドテチン「へろんはすごくマイペースなんだよ。だからそんな風にも思ってないよ(笑)。ただ、初めて動画に出た時もキャラクターそのまんまで、凄いと思ったね。入社してずっと後のことだけどね」
――当時の仕事はどんなものでしたか?
ドテチン「データ取り。動画の仕事なんて、入社当時はまったくなかったから。毎日ホールに行ってデータを取って、会社に戻ってそれをまとめる作業ばかりしていた」
――ツラかったこととかありますか?
ドテチン「今思い返せば結構働いてたと思うんだけど、そんなにキツい印象はなかったね。ただ、データまとめだけは本当にキツかった。今でこそExcelがあるから多少ラクだけど、当時は紙に線を引っ張って、そこに正の字を書きこんでいって、予告の複合を調べたりしてた」
――今と比べると演出過多の時代ではないイメージですけどね。
ドテチン「それがね、最初にデータ取りを頼まれたのがSANKYOのCRF.ドデカザウルスという機種だったの。毎回転、必ずミニキャラが通過してそれを全部数えなきゃいけないの。新人にやらせる機種じゃないよ(笑)」
※当時のパチマガ誌面
ドテチンたちの苦労の結晶でもある
いきなり不遇をかこった新人時代。そんな時代を共に過ごした仲間の多くは、すでに卒業して行った。
――ライター的な同期で今でも残っている人っています?
ドテチン「同期ってのはいないね。自分より先輩も、和泉さんや西さん、五月女さん…あとは石神さんとか緑山さんくらい。 で、その下となると、助六とか軍団を除けば、アンドレさんかパンダ君とかになっちゃんじゃないかな」
――スロマガにも同期はいないんですか? レビンさんとかは?
ドテチン「レビン君は自分よりだいぶ先輩だよ。年齢は自分の方が上だけど。スロマガだって先輩はレビン君とかしのけんさんくらいで、松本バッチ君とかはだいぶ後輩になっちゃうしね。あ、そうそう! パチマガに応募した直後にしのけんさんに鶯谷(東京都台東区)のホールでたまたま会ったの。それで嬉しくなって『パチマガに応募しているので、もしかしたら同僚になるかもしれません!』って挨拶した(笑)」
――しのけんさんは覚えていたんですかね(笑)。
ドテチン「どうだったんだろうね(笑)。その日、しのけんさんは朝からマネーゲーム(バルテック)を打っていたんだけど、気付いたらいなくなってた(笑)」
しのけんの思い出を語る目には、スロマガ愛読者だった時代の面影が残る。そこで、パチンコ・パチスロとの出会いを聞いてみた。
――初めて打ったのはパチンコですか?
ドテチン「パチンコだね。西陣のCR球界王という台」
――高校時代ですか?
ドテチン「いや、自分は高校を卒業するまで、一切パチンコは打ってないんだよ」
――この業界にいる人ではめずらしいですね。
ドテチン「高校時代は本当にバスケ部一色だったからね。ただ、顧問の先生がパチンコ大好きでさ。後で考えると、ちょうど初代のCR花満開(西陣)全盛の頃で、俺も打っときゃよかったーって思ったよ(笑)」
――初めて打ったきっかけはなんだったんですか?
ドテチン「大学に入る前に1年浪人しているんだけど、予備校時代に友達と2人でお昼を食べに出かけて、その時たまたま。パチンコっていう遊びがあることは知っていたけど、2人ともやったことはなくてさ。当時はプリペイドカードを買わないと打てなかったんだけど、2人で1000円ずつ出し合って2000円のカードを買って、これで当たらなかったらご飯を食べたと思って帰ろう、って言って」
――なんか純粋ですね。
ドテチン「そしたら2000円目に大当りして、なんかよく分からないけど玉がたくさん出て。それでやっと終わった、帰ろうと思ったら画面に『高確率中』って書いてあって、よく分からないけどヤメない方がいいのかなと思って、とにかく打ち続けたの」
――最終的な収支は覚えていますか?
ドテチン「きちんとは覚えてないけど、たしか5連チャンくらいして、2000円が20000円になったの。それで2人でお腹いっぱい食べて、残りは折半した」
この業界にいる人間の多くは、ビギナーズラックを経験している。経験した者の方が、パチンコに残りやすいだけなのだろうけど。とにかく、やはりドテチンはパチンコに「呼ばれた」のだろう。
――そこからどっぷりハマったんですか?
ドテチン「いや、そこから先は相当負けたよ。しかも当時は『2000円が20000円になるもの』と思って打ちに行ってるから、負けた時のショックも大きくてね(笑)」
――どういう打ち方をしていたんですか?
ドテチン「確かドラゴン伝説(豊丸)…の700回とかハマっている台(笑)」
――なんでハマっている台を?
ドテチン「そろそろ当たりそうじゃん(笑)。当時は勝ち方なんか知らないし、買っていた雑誌にも狙い目回転数とかが載っていたから、そういうのを打ってはボロ負けしてたね。…ボロ負けと言っても学生だから、金額としては大したことないんだろうけどさ」
※オカルト情報サイトの「当たりやすい回転数」
統計学的にありえない結果だ
5000円負けのショックは「今の5万円負けくらいかもね…」とドテチンは語る。今でも手を変え品を変え残っているが、当時はオカルト満載の雑誌が今よりもっと多く発売されていたものだ。こういう話を聞くと、オカルト自体を悪と断ずるつもりはない(楽しみ方は人それぞれだから)ものの、心の隙間に付け込んで金儲けを企むオカルト雑誌は、絶対的に悪だと改めて感じる。
――どのあたりから『パチンコは勝てるもの』と認識し始めたんですか?
ドテチン「一時期パチンコから離れていたんだけど、大学時代の友達に理論派のパチンカーがいて、その話を聞いたら理屈に合うしもう一回やってみようと思って。時短機のウルトラマン(Daiichi)とか、フィーバークィーン(SANKYO)とかを一緒に打ったの。そしたら、1000円で40回転くらいまわって、大当り出玉で確率分母以上に回せてさ。パチンコはこういう風に勝つんだ、って気づけた」
――その頃は低交換率・ラッキーナンバー制ですよね。
ドテチン「そう。今の時代って大変だよね。ボーダー+1〜2回転の台を打ったって、勝ち方という意味では実感できないもんね」
昔は良かったと安易に言うことは嫌いだが、少なくとも初心者が釘の勉強をするという意味では、今より昔の方がたやすかった。そのおかげで僕たちは「ドテチン」に出会えたのだ。そしてこの後、ついにドテチンの「ライター論」や「パチンコ観」がすべて明かされる。
(#003に続く)