ドテチン、現在41歳。ライターキャリア15年を誇り、長年『パチンコのエキスパート集団』パチマガ攻略軍団の軍団長を務める男。その実力と人望は万人が認めるところではあるものの、コスプレなどの三枚目路線が実像をボヤかせる、そう感じているスタッフは意外と、多い。
――15年というキャリアを積んだのに、なぜまだふんどしを着たりするのでしょう。
ドテチン:自分にはトークの才能がないと思ってる。ビデオカメラを前にしても上手く喋れるのならそれで勝負できるけど、自分にはそれがない。だったら、出オチでもなんでも、事前準備ができることをやって、それでひと笑いでもしてもらえたら印象が変わるかなって思ってね。
――恥ずかしかったりはしないですか。
ドテチン:恥ずかしいという概念は、もうないね。恥ずかしがっていたら、とてもじゃないけどカメラの前であんなことできないよ。
――これはさすがにできない、と思うような依頼はないですか。
ドテチン:基本的には断らないようにしてるよ。ただ、一回だけ編集に怒ったことがあるんだけど、本気で雑誌で使う気があるのか分からないようなことを、安易に頼んではほしくないね。
――すぐに使わなくても企画とかで再利用できるかも、と考えてしまうんでしょうね。
ドテチン:コスプレというかああいうことは、こっちがムリしてやっているのに、周りからは「○○は着れたんだから△△も大丈夫だろう」って思われちゃう。どんどん要求がエスカレートしていくから、やり方だったりペースは考えてほしい。
マジメなのだ。どんな恰好でも受け入れるのは、ドテチンの覚悟ゆえなのだろう。そして話は後輩ライターへの提言へと続く。
ドテチン:例えばるるは、よくセクシーな恰好をしているよね。絶対にニーズのあることではあるから、編集部や読者さんから要求はあると思う。でも、やればやるほどハードルは上がっていくし、飽きられたら意味がない。だから本人にペースを考えた方がいいよ、なんて話はしているよ。
後輩の話をするドテチンの目は、普段以上に優しく光る。そのルーツを知りたくなって、今さらな質問を投げかけてみた。
――どんな学生時代を過ごすと、ここまで後輩に愛情が持てるようになるのですか。
ドテチン:大学が教育学部なんだよね。中学校教員養成課程の保健体育科卒業。あんまりマジメに通ったタイプではなかったけど。大学1年生の時に取った単位は「3」しかなかったしね(笑)。
――学校の先生になりたかったんですね。
ドテチン:中学校までは成績もよかったし、野球と剣道をずっとやっていて運動もそこそこできたんだよ。
――じゃあ、さぞかしモテたでしょう。
ドテチン:それが、自分を好きになってくれる女性はいらっしゃってくれたんだけど、自分が本当に好きな子には好かれなくてね。当たり前だけど「他の子でもいいやー」なんてならないから、付き合ったりしたことは意外と少ないんだよね。
フラれた直後、他の子に告白をされても安易に流されない。純朴なドテチンらしいエピソードだ。しかし話を聞いていると、決してマジメ一辺倒に生きてきたわけではないらしい。
――「青春」と言われてイメージするものは何ですか?
ドテチン:高校時代のバスケだね。すごく仲が良かった。みんなが結婚して回数は減ってしまったけど、今でもたまに集まったりするよ。
――ポジションはどこだったんですか?
ドテチン:パワーフォワード(PF。身長が高く体格に優れた選手が務めることが多い。ゴール下での守備や得点能力などパワフルなプレーが求められる)だね。ただ、頑張ってたけどスタメンにはなれなかったの。そうそう、バスケ部の友達が田町(東京都港区)に住んでいて、よく遊びに行ったんだけど、その近くにラーメン二郎の本店があったんだよ! まだ、チェーン展開される前だったんだけど、部活のある土曜日はそこで食べるっていうのがステータスだった(笑)。
――高校生のころから「ジロリアン」だったんですね。
ドテチン:まだそんな言葉ができる前で、自分たちはよく「ジロる」って言ってたね。
――よくバスケの練習をした後に、あんなに(ラーメン二郎は大盛りで有名)食べられますね。
ドテチン:それが酷い話があってさ。一時期ずっと試合に出られない時期があったの。自分より上手くて背の高い人が2人もいてさ。その頃、試合の前なのに二郎に行ったことがあるよ。
――どうせ出ないと思ってたんですね。
ドテチン:そう。それで、当時のメニューで「マシ」っていうのがあって、これがどんぶりいっぱいの麺に、スープは別盛りなの。それを食べたやつがいると「あいつマシを食べたらしいぜ!」って伝説になれたのよ。それで、試合前なのにマシを頼んだんだよね。で、かなり無理をしてなんとか完食したんだけど、その後試合に行ったら先生に「土屋、今日は久しぶりに先発で行くか!」って言われちゃった。
――高校時代からヒキ弱(笑)。
ドテチン:もうその試合のデキは酷かったよ。人生は油断しちゃダメだね(笑)。
今でも愛するラーメン二郎との出会い、そしてそこから学んだ人生の教訓。だが、それが教師という形で活かされることはなかった。
――なぜ教師の道をあきらめたんですか。
ドテチン:ちょうど時代的にモンスターペアレントみたいなのが問題になったり、「キレる17歳」なんてのが話題になった時期でね、教育って難しいなって感じちゃったんだよね。
――大学は卒業したんですよね。
ドテチン:卒業したよ。5年かかったけど(笑)。そのあとはバイト先の先輩が独立して自分のお店を開いたの。創作和風居酒屋、みたいなお店。そこで働いていたんだよね。日本酒のカクテルを作ったりして。
――バーテンダーだったんですか!
ドテチン:元々、ライブハウスのバーカウンターでアルバイトをしていてね。そこの先輩が独立してお店を作ったの。
――ドテチンとライブハウスも結びつかないですね。
ドテチン:しかもスタッフが全員リーゼントで仕事をするライブハウスだった(笑)。
――先輩に誘われたなら好条件という気もしますが…なぜ辞めたんですか?
ドテチン:かなり無茶なスケジュールでそのお店を建てたから、開店から一年も経たないうちにけっこうアラが目立つようになっちゃって。そのオーナーが結構野望の強い人で、どんどん出店していこうとしていて、自分に「ゆくゆくはこの店のオーナーになってくれ」という話が来ちゃったから、慌てて「退職します!」って(笑)。
――そんな過去があったんですね(笑)。
ドテチン:そのお店を辞めたあと、こんなに長期間の休みはもう取れないだろうと思って、アメリカに40日間滞在したの。
――それも初耳です!
ドテチン:アメリカに行って視野が広くなったというか、色んな人がいるなと思ったし、日本は平和だなって実感したよ。野宿もしたし、怖い人に追いかけられたりもしたからね。あと、日本人っていうだけでお金を持ってると思うから、お金貸してとか声をかけられたりね。
――貸したんですか?
ドテチン:路上で「明日必ずこの場所で返すから貸してくれ」って言われて、貸したよ。もうその時点で返ってこないとは思っていたけど、答えを知りたくて翌日ちゃんとそこに戻った。でもやっぱり誰もいなくてね。「まあ、そうだよなぁ」って(笑)。
ドテチンの人間としての優しさは、こういう経験によって形成されたのだろう。人生経験が豊富ゆえに後輩に優しくなれるし、語る言葉に重みが出てくる。そして、アメリカから帰ってきたドテチンは、人生の大きな転機を迎えることとなる。
(#002へ続く)