福島県の山奥に育ち、頭脳明晰、運動神経抜群、学級委員長・生徒会長を歴任し神童として地域の期待を背負い、県内イチの進学校に進んだ松本バッチ。高校ではサッカーに熱中しすぎて成績を下げ、首都圏の私大薬学部へたどり着く。
生来の真面目さゆえに1年次で単位を取りすぎてしまい、1年が終わる春頃にはほぼ大学に顔を出さなくて良いほど暇になってしまった松本は、高校時代の友人達と春休みに再会すると、彼らはパチンコ・パチスロを覚え始めていた。
−−やっぱりパチスロからですか。
松本:いや、大学入ってからすぐくらいに1人でパチンコ屋に突撃してまして。ほぼ同時期に友達も始めていて、しばらくは海物語をたまに打つ程度でした。高校時代から賭け事が好きだった友達なんですけど「これどうやったら勝てんだろうな」「いや店が勝ってるんだから勝てないだろ」「じゃあ運勝負だな」みたいな話をしながら遊んでましたね。そいつは仙台に進学してたんですけど、打ちに行った日は必ず夜に長電話してました。
−−じゃあハマる程でもなかったんですね。
松本:これなんとか勝ち越せねえかなって思ってる時に別の友達が「キングパルサー」の解析情報を持ってきたんですよ。当時はもう攻略誌とかあったはずなんですけど「裏情報」みたいな感じで(笑)。
−−なんと(笑)。
松本:「これみんな知ってるのかな」「いや知らない人も打ってるっぽいよ」って言いながら、中身をあーだこーだ話してるうちに「これがホントならすげー勝てそうなんだけど? 見かけたら打ってみるわ」ってことになって、そこからパチスロを打ち始めましたね。だから最初からゾーン狙いと天井狙いです。
−−すごいですね。
松本:そこから収支もつけ始めました。勝てるようになってからはパチスロが面白くて仕方なかったですね。最初の1年はホントにキンパルしか触らなかったです。他の機械は怖くて。友達と「獣王打ってるやつ金突っ込みまくってヤバいぞ」みたいな話してました(笑)。たまに友達が何かの間違いで新台打って、それで話を聞いてちょっとずつ打てる台の幅を広げていく…って感じでしたね。何しろパチスロの知識のベースがキンパルなんで、次によく打つようになったのは「不二子2」なんですけど最初は天井狙いしてましたからね。
−−ただのノーマル機ですよね(笑)。
松本:それくらい友達からの情報だけで打ってたんです。「やべぇ! 不二子2で1280超えたんだけど」って(笑)。でもキンパルで喰えてたんで、吉野家のバイトも辞めました。でも今考えたら、それほど勝ってたわけでもないんですよね…。キンパルの収支はつけててそれなりのプラスでしたけど、それこそ猪木とか荒い機械を遊び打ちする時は帳簿外でしたから(笑)。パチスロのプラスでパチスロを打つ、みたいな。
−−じゃあ攻略誌に出会ったのはいつですか。
松本:最初の頃は攻略誌なんて全部オカルトが書いてあると思ってて。「海物語は1と9のダブルリーチで当たる台が好調台!」って書いてあって「すでに確変に当たった台が好調とか当たり前じゃん」って思って全く信用してませんでした。こっちは当たりそうな台を知りたいのに(笑)。でもキンパル以外のストック機とかAT機とかを打つ時にはさすがに雑誌を読むようになりましたね。
−−ちょうど北斗、吉宗と盛り上がってくる頃ですね。
松本:そうです。キンパルとか北斗は設定もある程度読めたんで楽しくて。でも、吉宗はむしろ敬遠してました。天井1920でREG単発もあるって勝てるわけねぇじゃん、みたいな。後に設定6ツモって万枚出してからどっぷりハマりましたけど。結局「高設定を掴んで出す」っていうことにパチスロの面白みを感じていたんですね。
−−パチスロ上手い人の台詞ですね。
松本:でも僕、目押しが出来るようになったのだいぶ遅いですよ。ちょうどAT機が全盛になって最近ちょっとお金使いすぎだな〜って思った時に友だちにジャグラーを勧められて。住んでた所の近くにあったのが初代「ジャグラー」だったんでバックライトも無くてリールがすげーちっちゃくて(笑)。1週間くらい通ってすげー負けながらリプレイハズシとか練習してましたね。BIG中のブドウとかも取りこぼすから枚数少ないんですよ(笑)。で、別の店で「花火百景」だったかな? 高設定イベントがあったんで打ってみたら中段BARビタ押しのリプレイハズシがなにこれ超カンタン! ってなりました。
遠く離れた高校時代の友人と情報交換をしながら勝ち方や楽しみ方を覚え、パチスロにのめり込んでいった松本。パチスロを打ちたいがために授業のない研究室に入り、待ち時間の長い実験をしてはホールに足を運び続けた。卒検も大学院に進学しないからという理由で適当ながらもパス。薬剤師の国家試験の前3ヶ月だけは週に1回しか打たなかったものの、間違いなくパチスロ漬けの大学生活であった。
国家試験を順調に突破した松本バッチは、福島に戻り調剤薬局に薬剤師として就職したのであった。
−−就職してからもパチスロ三昧。
松本:そうですね。仕事終わりはもちろん、1時間の昼休憩でも食事を10分くらいで終わらせて残りをパチスロ打ってました。
−−もはや中毒者ですね。
松本:さすがに昼打つのは大花火とかでしたけど、働いてる薬局近くの低交換率のボッタクリ店でした。たまに気分で南国育ちとか吉宗とかストック連チャン機を打ちたくなって、何回か連チャンを取りこぼしたこともあります。それを女性多めの職場の人達に話したら「あそこのケーキとか買ってきてくれたら1時間くらい延長してもいいよ」って言われたり(笑)。
−−ゆるい感じの職場だったんですね。
松本:そうですね。でもそんな感じで打ちながらも勝ててましたね。と言うか、パチスロを打つの自体が楽しいのは当然なんですけど、勝つことも楽しいし「絶対にプラス側にいよう」って思ってました。負ける遊び打ちも楽しいけど、トータルではなんとかプラスにしよう、と。負けてたら楽しくないでしょうし、遊び打ちも出来なくなる。あと、僕は特定の店舗に通い続けるジグマスタイルだったんですけど、そこで常連からも店員からも「パチスロ上手い人」って一目置かれるのも嬉しかった。
3年弱ほど調剤薬局で働いた後、松本は再び上京することになる。「物を書く仕事がしたい、ライターという職業に挑戦したい」との思いであったという。もちろん、パチスロライターという頭が無かったわけではないが、当時は入り口もわからず、ライター業の一環でパチスロ分野もできれば、という感覚だったそう。
パーティーのフライヤー制作などを請け負ったりしながら、売れないライター兼スロプロのような生活をしばらく続けた。当時の松本は「自分が書いたものが色々な人に見られるというのはやっぱり悪くないな」と思ったそうである。「もちろんお金になれば、ですけど」と松本は付け加えた。
(#006に続く)