物書大陸
松本バッチ、職業・パチスロライター。35歳の誕生日を迎えたこの6月、後輩ライターであるフェアリンとの結婚を発表した。やはりこの話題に触れないわけにいかないだろう。

−−驚きましたよ。
松本:僕もですよ。まさかこんなに反響があるとは思ってませんでした。お騒がせしてすみません。
−−いろいろ聞いても良いものですか。
松本:別に今更隠すつもりはないので。さすがにお付き合いしている時はそうはいかなかったですけどね(笑)。ただ、同じ雑誌の先輩後輩ですし一緒に居ても疑われなかったというか。浦安の某ランドで声かけられて「写真いいですか?」って言われた時はさすがに「ここ夢の国なのに!?」って言いましたけど(笑)。

付き合い始めたのは1年程前だという。互いに影響力の大きいスロマガの看板ライター同士。その時点で「結婚を前提としたお付き合い」を明言した。

物書大陸

初対面はフェアリンのデビュー後、松本がスロマガ編集部に打ち合わせに来た際、新人女性ライター数人で写真撮影をしていた所に通りがかった。それこそ先輩と新人のありきたりな挨拶を交わした程度。そこから半年ほど経って初めて松本の本誌連載「とあるGOGO!の物語」にゲストとして呼び初めて共演を果たすが、それでも2人が付き合うまでにはまだ時間を要するのであった。

−−最初はただの後輩だったんですか。
松本:そうですね。一緒に映像とかの仕事をするようになってから、帰りに飯を食いがてら先輩としてアドバイスとかしてましたね。いろいろ苦労してるなっていうのは見えてたし、才能の片鱗も感じてましたし、「これはどうにかしてやらなきゃいかんな」って思いましたね。先輩として。
−−下心は(笑)。
松本:ホントに無かったですよ。可能性ある後輩が足掻いて苦しんでるなら、誰かが道を切り拓いてやらなきゃ、と。パチスロライターとしての在り方ってものを見せてあげなきゃって思って。僕がそうしてもらったように。偉そうに、それを僕がやろうとしただけです(笑)。実際、そう思ってから僕の仕事もすごい増えたんですよ。だから結局は自分のためでもありましたね。
−−なんか良い話ですね。
松本:でも今回結婚を報告したら、いろんな関係者の人から「ずっと付き合ってるもんだと思ってた」って言われましたけどね。いや、当時はそうじゃなかったんだけどなって(笑)。
−−自分の女をゴリ推ししてたように見えたんですね。
松本:言い方(笑)。でも2人ともお仕事をいっぱい頂けるようになって。付き合い始めてからは特に彼女は忙しそうでしたね。下手したら僕より休み無いんじゃないかと思うくらい。そうやって仕事がうまく軌道にのったのも、こうなった一因かもしれませんけど(笑)。

物書大陸

まさに順風満帆と言っても良い松本。そんな彼の現在(いま)は後ほど再び聞くとして、ここからは松本バッチという人間を形成してきた過去を紐解いてみたい。

松本バッチは昭和57年(1982年)6月25日、福島県田村郡(現田村市)に、兄2人姉1人の4人きょうだいの末っ子として出生。父は公務員で、家では農業と畜産も行う兼業農家。絵に描いたような山奥の家から、松本少年は小学校時代毎日約4kmの道のりを1時間半以上かけて徒歩で通学していた。入学前はコロコロと太った子供だったそうだが、幼稚園入園以降毎日の通学のおかげで、足も速くなり運動神経抜群の少年へと成長していった。

物書大陸
(C)Google
※画像はイメージです

−−子供の頃は何になりたかったんですか。
松本:文集とかにはJリーガーになってワールドカップに出るって書いてました。地域では神童みたいな扱いされてましたから。
−−サッカー部だったんですね。
松本:それが…人口が少なすぎて小学校にも中学校にもサッカー部が無くて、クラブ活動はソフトボールと野球でした。家に帰ってから1人でボール蹴ってましたね。兄貴達は生粋の野球っ子でしたし。
−−お父さんはどんな方でしたか。
松本:めちゃくちゃ厳しかったですよ。特に礼儀とか。長男は真面目に育ちましたけど、真ん中の兄貴は厳しさへの反抗からかグレました(笑)。僕は真面目ではなかったんですが、うまいことやるタイプでした。
−−末っ子らしいですね。
松本:「バッチ」というライターネームも僕の地方の方言で「末っ子」って意味です。でも、厳しいだけじゃなかったですよ。雨が降ろうが槍が降ろうが学校まで車で送ってくれたことはなかったんですが、1度だけ送ってくれたことがあったんです。それが、朝農作業をしていた父親が池でまさにトンボに羽化しようとしているヤゴを見つけて「一生に何度も見られないんだから見ていけ」って。
−−いい話ですね。子供の頃の写真がほしいんですけど…。
松本:実は…大人になってからですけど、実家が火事になりまして。僕、子供の頃の写真1枚も無いんですよね(笑)。

物書大陸

プロサッカー選手になりたかった野球部の松本少年は、厳しかった父親の方針で家から離れた福島県で一番の進学校を経て大学に進学するか、地元の高校を出て地元で就職するかの2択を迫られた。当時、アルツハイマー病を患い始めた祖母を薬の力で治せるかもしれない、との想いで薬剤師を目指し、進学校の道を選ぶ。

−−おばあちゃん子だったんですね。
松本:そうですね。当時はまだ今のような認知症抑制薬も開発中の段階で、図書館で調べたらそんなニュースがちょうどあったんで。でも、第一希望はサッカー選手のままでしたよ(笑)。
−−高校では念願のサッカー部に。
松本:父親にはやるなって言われてましたけど無視して勝手に入りました。兄貴も同じ高校出て今は獣医なんですけど、野球はやらせてもらえてませんでしたからね。父親も歳になってきてたので若干甘くなってたのかもしれませんが。
−−さすが末っ子ですね。
松本:プロサッカー選手の夢は入ってすぐくらいに思い知りました。「あ、こりゃ無理だ」って(笑)。でも一応3年間やりましたよ。実家帰る度に「お前まだサッカーなんてやってんのか」って言われ続けましたけどね。
−−学業のほうは。
松本:1年の時は受験勉強の余力でトップクラスだったんですけどね。もう国立大学の薬学部も楽勝って感じで。それで余裕こいてサッカーに打ち込んでたらどんどん成績が落ちて。それでも「本気出せばすぐ取り返せる」って思ってました。で、3年の夏にサッカー引退してからまずは英語だけを死ぬほどみっちり1ヶ月やったんです。そしたら偏差値が2しか上がらなくて(笑)。その瞬間、志望校を私立大学の薬学部に変更しました。

物書大陸
物書大陸

千葉県の私大薬学部に進学した松本バッチがパチスロに出会うのはもう少しだけ先の話である。

(#005に続く)

物書大陸TOP

TOP
スロ検索
パチ検索
コラム
Myページ
収支手帳
BBS
新着情報