徒然草 徒然草
≫年末年始特別編について≪

オノル
「僕と淳平とあんたはエライEX」
淳平(じゅんぺい)との出会いは、友人ヤスからの紹介だった。長崎の大学に在学しているヤスから連絡があったのは、その年の11月くらいだったろうか? 「友達が就職活動で東京行くんだけど、帰りにフィーバークィーンU(初代)を打ちたいって言っててさ、いい店ある?」と聞かれ、当日僕は新橋にあるT店を案内した。このときヤスが連れてきたのが淳平だった。

初対面の印象は最悪だった。フライトの時間なども考え、数あるホールの中から最も条件に適したホールをチョイスした僕に、お礼の一言くらい欲しいモノ。それなのに、何故か彼はほとんど喋らず、また楽しそうな顔もせず、黙々とクィーンを打ち続けたからだ。

だが、このあと彼の印象は一変する。空港まで付き合うことになり、フライトまで喫茶店で時間を潰していると、ヤスがトイレで席を外した。僕と淳平の間に重たい空気が漂う中、僕は彼に「パチスロも打つ?」と聞いてみた。

淳平は少し顔を明るくさせて、「打つよ!」と答えた。そこから打ち解けるのは早かった。一番好きな機種がビーマックスだとか、ハナビの遅れは2種類あるだとか、さっきまでの重たい空気がウソのように軽くなったのだった。フライトの時間が迫る中、もう少しコイツと話したい…と思うほど、別れが名残惜しくなっていた。

そして意気投合した僕らは連絡先を交換し、また必ず遊ぼうと別れたのだった。ちなみに「態度が悪い」と僕が思っていたのは勘違いで、彼は人見知りでとても緊張していたそうだ。淳平の立場で考えれば、ヤスの友人とは言え、東京という場所で初対面の人に案内されるパチンコを楽しめ…というのも無理な話。僕の早とちり。まだ、若かったワケだ。

数ヶ月が過ぎ、淳平は見事東京に就職が決まった。そして当然のように連れ打ちする機会が増えた。一緒に遊んで話すうちに、彼とはパチンコを打ち始めた時期もかなり近い事が分かり、さらに仲が深まっていった。まるで昔からの友達のように息が合った。

そんな時間が長らく続いたある日、彼が真面目な顔つきで「どうしても、もう一度打ちたい機種がある」と言ってきた。初めて兄貴にパチンコに連れて行ってもらった時に打った『あんたはエライEX』。それをもう一度打ちたい…と。しかし僕が知る限り、都内に設置はもうない。一応探してみるよ…と答えたものの、正直あてはなかった。

何故そんな話を淳平がしたのかは、その夜に分かった。夕飯を食べながら彼はこう言ったのだ。「転勤でしばらく那須に行くことになった」と。東京に出て数年、暇があればよく一緒に打ちに行ったいた仲。しばらくそれが出来なくなることを、彼はギリギリまで言い出せなかったのだろう。

いつかと同じ、ちょっと重たい空気になったが、僕は「遊びにいくから、そっちでいい店探しておいてよ!」なんておちゃらけて、空気を軽くした。しかし心の中では、この楽しい時間が無くなってしまうのが本当にツラかった。そしてこの転勤が僕らに『奇跡』を起こすとも知らず、夜は更けるのだった。

淳平が那須に転勤して数ヶ月、僕は約束どおり何度か遊びにいった。淳平の完璧な案内のお陰で那須での勝率は高く、いつも旅費をチャラにできるくらいで楽しめていた。そしてあの『運命の夜』がやってきた。

その日は朝から何かが違った。淳平が案内してくれるホールのクセが変わり、予想以上の大負け。さらにいつも使う那須塩原駅近くのビジネスホテルが満室で、急遽1つ隣の西那須野駅近くのホテルに泊まることになった。朝から晩まで狂う歯車に僕らは不安を覚えつつも、ホテルまで淳平に送ってもらい、明日はいつものホールへリベンジだ…と息巻いて、その夜は彼と別れた。

ふとホテルへ入ろうとした時、はす向かいにある建物に強烈な何かを感じた。ここはホール…? 直感でそう感じて目の前まで行ってみたが、深夜0時を回った暗闇でそれを確認する術はなかった。

明朝、淳平が迎えにきた。僕は昨晩の話をし、その建物を二人で見に行くと、どうやらパチンコ店で間違いなかった。ただ、まだシャッターは降りたまま。取りあえずいつものホールに並び、状況が悪ければ戻ってこようという話になり、僕らは勝負に出かけた。そして、あっさりと大負けした僕らは、神に導かれるかのように西那須野のパチンコ店へ戻ってきた。そしてそこで、驚異の光景を目にするのだった。

なんと、ズラリと1シマ「あんたはエライEX」が設置されていたのだ。この時の興奮は、とても言葉じゃ表せない。あれだけ探して見つからなかった機種が、なんと淳平の転勤先にあったのだ。まさに奇跡としか言いようがなかった。淳平は少し泣いていたんじゃないかと思う。僕らは貪るように懐かしいパチンコを楽しんだ。

それから淳平は、会社帰りにほぼ毎日そのホールに通ったそうだ。雨の日も風の日も、そしてあのみなし機撤去期限日となる日も同じようにホールに通った。このままこのホールは営業するんじゃないだろうか? そう思うくらい、みなし機撤去期限日も普通にホールは営業していたらしい。

変に不安に思った淳平は店員さんに「明日この機種は撤去されるんですか?」と聞いた。すると年配の店員さんは「ああ、あの話はパチスロだけだよ。パチンコは関係ないよ」と言ったそうだ。そんな話を電話で僕にしてくれた。

しかし次の日、ホールは閉店していた。

ホールを見つけてから約半年。地元の年齢層の高い常連で賑わうホールである。急に通い出した若者の存在のことは、店員さんだって分かっていたハズだ。だから、年配の店員さんは、最後まで淳平に夢を与えたかったに違いないと思う。最後の最後まで、自分のホールで余計なことを考えず「あんたはエライEX」を楽しんでもらいたかったんだと思う。今日で最後だから…と伝えてくれたほうが良いという人もいるだろう。でも、僕はそんな昔ながらの心意気を感じさせてくれるホールのほうが好きだ。あのホールに出会えて、僕も淳平も本当に良かったと思っている。

余談になるが、その後の淳平の誕生日に、中古屋で探した「あんたはエライEX」を送りつけたことを、僕は後悔していない。後に結婚する奥さんは、だいぶ迷惑な顔をしていたけど。

(オノル)
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