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おっとこまえ西
「母親」
西です。皆さんは、今までの人生で心に残っている事はありますか? 今回は、いつまでも僕の心に残っている「母親」の話をしたいと思います。

話は学生時代に遡ります。僕が高校受験に合格した時、母から「合格祝いに何かプレゼントしてあげる」と、欲しい物を尋ねられました。僕は怒られるかも? と思いながらも、中古パチンコ台を希望。すると母は怒ることなく、キングスターというハネモノを買ってくれました。18歳になるまでの高校3年間、僕はその台で釘やストロークの勉強をしたおかげでパチンコの腕が上達。母には大変感謝しました。

そんな西家は、両親共働きで、父は会社員。母は自宅の1階を改造して、飲食店を営んでいました。父との仲は悪くはないものの、夫婦で旅行に行ったり、出かけたりすることは一切無く、ドライブに行った事すら一度もありません。そんな母の悲しげな背中を何度も目にして来た事もあり、僕は大人になると、母が友人と遊びに行くと聞けばお小遣い(額は少ないですが)をあげていました。

その後、僕は車を購入。母の53歳の誕生日には、二人で夜景が見えるスポットまで夜のドライブに行きました。しかし、その1ヶ月後……母は頻繁に「背中が痛い」と言うように。僕はパチンコから帰ると、毎日のように母の肩を揉んでいましたが、とある日に母は自宅で倒れました。

すぐに救急車で病院に運ばれ、色々と検査を受けた後、主治医が家族全員を別室に呼び、母の状態を告げました。……末期癌でした。この時、僕は頭の中が真っ白に。いくら何でも53歳の若さで……。さらに主治医は「余命は長くて6ヶ月」とも言いました。

その時はモルヒネで痛みを抑えていましたが、今後、抗癌剤を投与するにあたり、本人に末期癌の告知をするorしないの選択を迫られました。家族は色々考えて、本人には告知しないほうを選択。

その後、僕は「病気は安静にしていたら良くなる」と母に嘘をつき、希望を持たせるために「退院したら飲食店を閉めて、ゆっくりしたらええよ」とも言いました。しかし、母は自分が末期癌とは知らないので、治ったら働くと言って聞きません。そこで僕は、「もう十分働いたから、ゆっくり休めば良いよ! 店は潰して、母さんだけの部屋にリフォームしよう!」と持ちかけました。買いたての車を売却し、その全額を部屋のリフォーム代に充てたのです。

リフォーム中は「今、部屋を綺麗にしているから、楽しみにしときや!」と母を元気づけ、2ヶ月後にようやくリフォームが完了。この事を主治医に伝え、1日だけ母の外出許可をもらい、完成した部屋を見せに自宅へ一時帰宅。この時、母は今までで一番の笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。「早く病気を治して、この部屋に住みたい。この部屋でゆっくり過ごしたい」と言い、その希望を胸に再び病院へ戻りました。

その後、母はリフォームした部屋には戻ることなく、病室にて53歳の若さで息を引き取りましたが、一時帰宅した時の「母の笑顔」は今でも僕の心に残っています。

(おっとこまえ西)
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