パチンコとの出会いというのは、人それぞれだと思います。先輩に連れられて初めてホールに足を運んだり、ゲーセンにあるパチンコをやってみたりと。
私は小さい時に、祖父に連れられて初めてパチンコに出会った。何歳だったか覚えてないくらい遠い記憶であるが、うるさい店内で祖父の膝に乗り、台を眺め、たまに落ちている玉を拾って祖父に届けると、祖父が喜ぶので何度もやった。そして店員に叱られて泣いた記憶だけは今でも鮮明に覚えている。
私の生まれた町は死ぬほど田舎で、周りは山ばかり。この季節になると、家の2階から外に出られるほど雪が積もるという、日本でも有数の豪雪地帯です。そんな所にあるホールですから、例に漏れずボロい。道路沿いにある看板は、夜になると田舎町には似合わないネオンを発するのだが、「パチンコ」と光るはずが「パ」の字だけ光らない。これを何年も放置しており、今思えば電球を変えられないほど経営が厳しかったのかと思う。その看板を通る度に「チン○! チン○!」と叫んで、母に叱られたのも覚えている。
小学生の高学年にもなると、祖父に連れられてホールに行くことも無くなった。祖父は休みの度に、祖母にどやされながらも懲りずにホールへ通って、負けに負け、また祖母にどやされていた。
そんなある日、母に呼ばれて居間に行くと、母と祖父が居た。
「あんたが貯めてる100円貯金をじいちゃんが貸して欲しいんだって」
……。孫の貯金に手をつけてまでパチンコ打つとか、どんだけ好きなんだこの人は! そう呆れたが、祖父の今にも泣きそうな顔に負けて、大事に貯めていた貯金箱をハンマーで破壊。数えたら3万円弱あったので、全部祖父に渡した。さよなら私の3万円…。
珍らしく遅くに帰って来た祖父。どうやら大勝したらしい。普段笑いもしない祖父がやたらニコニコしていたのを覚えている。私へのお土産に、当時やっていた戦隊モノのロボのオモチャを買ってきてくれたのだ。その当時は死ぬほど喜んだが、今考えてみると、3万円が5千円くらいのオモチャになって返ってきてるわけだから、大人とはずるいものだ。
そんな祖父も2年前に亡くなってしまった。病気になってからは大好きなパチンコにも行けず、家のソファーでボーッとしている日々だった。私が車の免許を取ると、「ばあちゃんさ内緒で、パチンコ連れでげ」とよく頼まれたりもした。もちろん病気の祖父を連れて行くわけもなく、断り続けた。その時の悲しそうな顔は今でも忘れられない。思えば祖父と並んで打つ機会なんて、この時しか無かったなあ……と、今更ながら後悔している。
じいちゃん。あんたの孫はあんたの遺伝子をきっちり受け継いで、立派なパチンカスになったよ。運よくパチンコライターにもなれて、じいちゃんが大好きだったパチンコで仕事してるよ。お金が無かったら友達からお金借りて、パチンコ打ってるよ。似なくていいところまで似てしまったよ。
今回、徒然草特別編のテーマは「心温まる話」。果たしてこの祖父との思い出で皆さんの心が温まるかはかなり疑問だが、私は祖父のことを思い出すと、なんだか心がポカポカするので書かせてもらいました。たまにはマジメなのを書いてもいいでしょ。あぁ、じいちゃんにも読んで欲しいなあ。
(亜城木仁)
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