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パチマガスロマガ
永浪のパチプロ最終出口

49番出口:ステージが上がるということ

ワールドカップの進化
ワールドカップが終わってしまった。僕はDAZNなどのサブスクに今は加入していないが、それでも今回は割りと試合数を観れた大会だった。途中風邪を引いて1週間近く家に引き篭もっていた時期にまとめて観れたのが大きい。流し見なども含めれば40試合近く観たような気がする。

個人的には夢のようなサッカーをするスペインが優勝して、もう何も言うことがない。ここ最近はサッカーをまったく観ていなかったが、前大会では日本にも負けた往年のティキタカでここ数年負け知らずだったというのは知らなかったので驚いた。いや、多分ちゃんと観比べたら進化しているはずだ。なんなら2010年の優勝チームよりも進化しているのだと思う。でなければあんな美しいサッカーで数年に渡り負け知らずなんて有り得ないだろう。

アルゼンチンには前回大会から思うところがあった。強いのは間違いないのだろうが、あんな歪な戦術であそこまで強いというのはなんなんだろうかと。多くの人に言われているように戦術はメッシ。神はメッシであとは選りすぐりの狂信的な10人の信者達。神のためならば何をしても許されるという原理的な香りすら感じていた。

アルゼンチンに限らず南米チームは、元々ヨーロッパサッカーに観慣れた目からすればかなり狡い事をやっていた。しかしあくまでも印象は狡い、だ。暴力的な印象は無かった。見えないところで上手にファールをして、それでもファールを貰ったら世界の終わりのように嘆く。相手へのキックを振り切ったり、頚椎へ肘鉄したり、ファールを貰ってからオラつくようなことをするような記憶は無かった。今回サブとして出場していたフォワードのシメオネは、父の伝統的かつ芸術的なファールの振舞いを受け継がなかったのか?

勘違いしないで欲しいが、僕のサッカー初代アイドルはマラドーナだ。1986年の伝説で当時小学生だった僕は一発でファンになってしまった。当時の僕はアルゼンチンのユニフォームが一番だったのだ。あの頃は試合を観たりは出来なかったが、断片的な映像や雑誌などで田舎の小学生に多大な衝撃を与えた。

メッシもチャンピオンズリーグ初出場の頃から観ていた。まだ神ではなかったメッシの凄さを知らしめた決定的な瞬間として記憶に残っているのは、たしかマンチェスターUとの試合で、メッシは右サイドだったと思う。あどけない顔の中途半端な長髪で、木こりの息子みたいだなあと思った記憶がある。そんな純朴そうに見えた少年が信じがたいドリブルを再三仕掛けて、相手ディフェンダーは結局メッシを止めるためにイエローカードを貰っていた記憶がある。不世出の天才を見れた喜びはもちろん今も続いている。

そんなメッシ率いるバルセロナのメンバーを多数揃えたスペインが、とんでもなく美しいサッカーで初優勝したのが2010年大会だ。10年ほど前に「もう終わった」と言われながらも、再び勝利を重ね始めたティキタカで、前回大会優勝国のアルゼンチンと対戦する。そのアルゼンチンには、かつてバルサの象徴だったメッシが、今や“神'として君臨している。そして夢が現人神を倒す。僕にとっての今回のワールドカップはそんな印象となった。

しかし出場国が48ヵ国というのはどうなのか。現在の外務省が数える国と地域で言えば約1/4が出場出来たことになる。サッカーは僕が子供の頃から、「キャプテン翼」の翼くんが言っていたように十分に世界的なスポーツだったはずだ。オリンピックに寄せたいのか更なる放映権の拡大の為なのか、はたまたサッカーという宗教に歯止めが効かなくなったのかはわからない。しかし日本も出場しただけで満足出来なくなってきたのは間違いないだろう。

ルールも大枠は外さないながらも細かくは変わっている。給水タイムという名のクォーター制などは、次回以降も暑過ぎない地域で開催する場合にも残るかもしれない。今回からではないが、ここ20年で言えば1番の大きな変更はVARだろう。なにかとFIFAに反目を貫くUEFAもここは同じだ。ルール上は精度を上げただけと言われるかもしれないが、文化的には非常に大きな変革だったのだと思っている。

フェアとは何か? サッカー中心地であるヨーロッパに於いては、不公平も公平だという「カイジ」に出てくる兵藤会長の様な考え方が元々あったのだと思う。でなければ同じリーグ内であそこまでの経済格差は生じない。21世紀になって多少の是正はされてきてはいるが、アメリカスポーツからしたら有り得ない格差はまだ残っている。

そしてチャンピオンズリーグなどで見られるホームアンドアウェーの得点の加点方法の違い。そんなアンバランスな世界で理不尽なまでに責務を担わされたレフリー。アメリカナイズされた「フェア」とは違う「フェア」が幻想としては確かにあったのだと思う。

しかしまあこのやり方は一部ではとんでもない熱狂を生むけれど、傍から見ると何故このようなことが許されるのかはわかりづらいし、めちゃくちゃじゃないのかとの指摘がおそらく(大昔から)あって、VAR導入という変革はサッカーというすでに世界的であったスポーツをもう一段階ステージを上げる為には必要だったのだと思う。

オールドファンにとってはいまだに半信半疑(何をもってVARとするのか、またわかりづらい映像をジャッジするのはやはり主審の判断)ではあるが、でももう後戻りは出来ないのではないだろうか。そんな扉を開けてしまったのだろう。


パチンコに必要な進化
長くなったがここからがパチンコの話。昭和パチンコと比べてみたとき、見た目上のトレンド進化はあっても実は大枠ではほとんど変わっていない。デジパチで言えばスタートチャッカーがあって、そこに入れば抽選をして当たれば玉が出てくるという仕組みは不変だ。

しかし実際のところ、ホール営業や打ち手からすれば大きく変わったところは他にある。一番の違いは情報処理技術の発達だと思う。これはもちろんパチンコに限らずだが、もれなくパチンコもこの影響を受けている。

細部では恩恵を受けているのだと思う。打ち手にもこの恩恵はある。例えばサイトセブンのようなサイトは、情報処理技術の発展なくしては有り得ない。昔はP-WORLDすら無かったのだ!

しかし最近のニュースでここにすこし規制が入るかもしれないとの噂が出てきている。これはちょっと時代に逆行しているような印象を受けてしまった。打ち手が不公平という理屈はまあ100歩譲ればわかる。おそらく遊技だからということなのだろう。店のデータを非公開にするのは、状況によっては仕方がないことなのかもしれない。しかし一度開いた扉を閉めるという行為は非常に後退的な印象を受けてしまうのだがどうなのだろうか?

外部からだけでも結局はそれなりのデータを集められるだろう。それなりに過不足の無いデータが集められた時、店のデータを非公開にしたことは何だったのかと思われないのだろうか?

しかし悪い?ニュースばかりでもない。4団体が警察庁に対してパチンコを1玉20円に上げる要望書を警察庁に申請したというニュースには驚かされたが、僕は好意的に受け取っている。もちろんいきなり現在の5倍にはならないだろう。しかし現在の貸玉価格は50年前から変わっていないのだ。ここをいじらずにいつまでもいたずらにスペックをわかりづらく尖らせても、もはや先細りの未来しか無いと思っている。情報処理技術の発達とは関係ないが、この大枠をいじらない限りは、小手先の変更だけではもう無理があるのではないだろうか?

この大枠を変えてシンプルにすれば、もう少し落ち着いて情報処理技術の発達を自然に享受出来るのではないだろうか。古き良きスタイルなのに、現在でもスムーズに遊べるということが大事なのだと思う。そこで初めてキッチュなパチンコの可愛らしさが、はっきりとした輪郭を持って浮かび上がってくるだろう。

もちろん今も貸玉を下げることは可能なので、上限を上げたからと言ってもそこを自由に変えることは可能なのだろう。下限だけ無制限で上限が50年前からの頭打ちというのは明らかに現状には合っていない。この大枠は満額回答とはいかないだろうが、なんとか変更して欲しい。



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