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パチマガスロマガ
永浪のパチプロ最終出口

32番出口:パチンコから離れた人たち

ギャンブルに生きるとは?
先日、数年前にパチンコ生活をやめた知り合いと会ってきた。その人が今何をしているのかなどは書かないが、数年振りに会ったその人は非常に落ち着いていて元気そうに見えた。妙に自分が気恥ずかしかった。

パチンコ生活をしている人たちは知り合いがホールに姿を見せなくなると、大丈夫なのかと心配するような癖が以前はあった。もちろん連絡も付かず姿を消すと心配するのは普通のことだとは思う。特にパチンコで生計を立てようなどと思っている人は、おかしい人がそれなりに多い。しかしパチンコ生活をやめて、他のことを始めた人たちのことも似たように心配することがあった。

これはどういうことかと言えば、パチンコ生活をしている人たちはパチンコで喰えるのならば永遠にホールに来るはずだという錯覚を持っているのだ。パチンコで喰えているのに来なくなるなんておかしい、ということだ。なのでその心配はすこし穿った見方をすれば裏にマウントがあるとも言える。

これを読んでいる人たちのほとんどは、パチンコで生計を立てようと思うほどにのめり込んではいないだろう。なので自明の話ではあると思うが、本当はパチンコを毎日毎日打っている方がおかしいのであり、それをやめてほかのことを始めるのは一般的にはまともになったと見なされるはずだ。

共犯意識みたいなものもあるのかもしれない。若い方たちなら特にそれが強そうだ。堕ちていくのに一人は怖い。しかしホールがすべてになると本当に世間が見えなくなる。

しかしそんな認識も状況も今は昔。流石にコロナ禍が過ぎた頃からは、パチンコ生活をしている人たちにもそんな呑気な気持ちは無くなってしまった。誰に気にされているわけでもないのにどんどんと肩身が狭くなっている。結局のところは勝負事である以上は結果がすべてなのだ。勝てなくなれば凹まされるのは仕方がない。

それでも続けていられるのは、多分本当に楽観的かつ残念な人ということなのだろう。それで良いとの開き直り。そして、パチンコで生計を立てていた人たちは、他のことを始めるともうパチンコには戻って来ることはない。

20年以上前に麻雀を打てないのに読んだ「麻雀放浪記」の3巻の最後だったか。うろ覚えで申し訳ないが、主人公が勝負に負けて何もかもがどうでも良くなり、上野で路上生活に飛び込んでいった感覚のようなものを持ち続けてしまっているのだと思う。面倒なことは考えたくない、とりあえずやり過ごしたい。今もパチンコ生活を続けているのは、僕も含めてこういう人たちなのだと思う。ギャンブルは生への執着を薄めてしまうのかもしれない。



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