一般景品に交換するのもアリ
パチンコ店は2000年頃まで「その地域一律で」低交換率だったこともあったと前回書きましたが、この頃は全国を打ち回っていました。
その中でも印象深いのは宮城県ですかねえ。2000年4月に交換率が自由化されるまで、なんと8.4枚(で100円)交換でした。
その前後で打ち手(プロ)やホールさんにインタビューさせてもらいました。そのプロは、インターネットを通じて知り合った友人だったりもするのですけど。
結論を先に書きますと、そのプロは2000年いっぱいくらいで廃業しました。2000年3月以前の一律8.4枚交換時代は、とにかくタコ粘るのが是とされていました。
初代「バーサス」で連れスロした際、私は東京でいつも打っているように設定3判別から始めました。彼はそれを見て大笑いをしたんですね。「宮城県のバーサスに設定3以下はほぼない」って。
彼が何もしていなかったわけではありません。設定判別ができる中でも、BIGを引かずに調べられる「ニューパルサーR」や「スーパースターダスト2」を主戦にしていました。
超堅実派。それでいて「ビーナスライン」の際も、打てるホールを探して全国を飛び回っていましたね。要は凄腕です。
何故その彼が廃業したのか。交換率自由化以前は、狙い台という概念が大雑把で良かったのです。狙い台の考え方が違っていても、またその台も高設定の可能性が高いのですから。大抵は粘れば何とかなったのです。
しかし、交換率自由化以降はカニ歩きをしても高設定台がないことも増え、「ないところで芋掘りをしても虚しくなるだけ」という精神的なダメージが大きくなっていったらしいです。
「低交換率は粘らなければ勝てない=長時間ドル箱を持っている」ということにつながります。出玉の見せ玉効果だけでなく「そのホールは勝てるお店」という広告効果も「街のプロ」は担っていたんですね。
一方のホールサイド。お話を聞かせていただいたのは、住宅街が割と近いホールと、繁華街に出店している店舗の2パターンでした。
住宅街が近いホールは「常連のお客さんに大花火の設定1(BIG確率1/431)を打たせるのが心苦しい。一律低交換率時代のほうが良かった」。
もう一方の繁華街の店舗は「競争の時代となって、お客様に選択肢が委ねられるように。そこで選ばれる店舗を目指している我々には、交換率自由化は良かった」と、逆のことを仰っていました。
どちらの考え方も正しいんです。私も心情的に打ちたいのは低交換率のホールでしたが、空き時間に選んだのは高交換率だった繁華街ホールの「グランシエル(設定1でも100%超えの技術介入機)」でした。
低交換率のホールは前日までの流れというか、立ち回りにおいていろいろ考えられることがあるんです。しかし、繁華街の高交換率はフラッと寄っても「設定1上等」と、スペックの甘めな機種を選んでおけば、まず大火傷はしませんから。
交換率が低かったのは宮城県だけではありません。2000年前後まで長野県は8枚交換でしたし、大阪府は7.6枚交換でした。…
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