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徒然草

オノル

【特別編】上野毛会館への手紙

僕がパチンコ・パチスロのイロハを覚えた場所、そして初めての社会勉強の場となったのが貴方でした。

この町に僕が引っ越してきたのは4歳の頃。少なくともその頃には、既に営業されていたでしょう。幼稚園のバスの窓から見えたその姿は、小さな町の目抜通りでピカピカとネオンや電球を光らせ、一際目立つ存在でした。

あの中に入ってみたい!

子供ながらにそう思い続け、初めてそれが叶ったのは小学校2年生のときでした。父親の気まぐれで連れて行ってもらい、少しだけ玉を弾く。チーン、じゃらじゃら、と払い出される返し玉に一喜一憂。本当にちょっとの時間だったと思うけれど、それは僕にとってとても新鮮で刺激的な出来事でした。

時は流れ、ちょっとフライング気味の年齢で僕は再び貴方の扉を開けました。注意されないか、バレないか、ドキドキしながら打った記憶。今でもあの日の緊張と興奮を忘れたことはありません。

200台もあるかどうか分からない、地域密着型の中型ホール。その中に若いお客さんはあまりいなくて、おじちゃんやおばちゃんが多かったように思います。僕はその中から、トランプの絵柄が魅力的なドラム式パチンコに腰掛けました。

ふぇばーくいーん?

FEVERを読めず、変んな覚え方をした台。「フィーバークイーンU」これが初めて自発的に打つパチンコでした。

数千円で大当りさせ、いきなり緊急事態。下皿に払い出された出玉を抜かずにエラーさせてしまいました。店員さんが遊び方を教えてくれ事なきを得ましたが、大当り後逃げるようにホールを出てしまいました。恥ずかしさと怖さが限界になっていたんです。

しばらくすると、僕はまた貴方の元へ遊びにきます。今度は雑誌で色々勉強してからの挑戦。大当り確率やスペックも頭に入れてありました。

しかし、まだまだ素人。大当りして優越感に浸り、下皿の玉をプラスチックのドル箱に勢いよく落とします。今度はエラーさせないよ、と得意顔です。ところが…

「ちゃんと手で受けろや!」

と、後ろのシマにいた、その筋の常連さんにメチャクチャ怒られてしまいます。当時はドル箱にクッション材などがなく、プラスチックの箱に銀玉を直接落とすと強烈な音がしたので、それを注意されたワケです。その怖さたるや、先輩に絡まれたときの比ではありません。

でもその後、ルールをちゃんと守るようにしたら、様々な常連さんや店員さんが声をかけてくれるようになったり、あの怖い常連さんが「坊主、今日は調子悪そうだな」とコーヒーを奢ってくれたりと、その場所がまるで自分の居場所として認められたような気分になりました。知らないうちに僕は、小さなホールで社会と人間関係を勉強していたのでした。

ホールなんてロクな場所じゃない。

そんな言葉を聞きます。本当にそうでしょうか? 僕は貴方から人生そのものを変えてしまうくらい色々なモノを与えてもらいました。初めてパチスロを打ったのも、常連さんに目押しの特訓をしてもらったのも、生涯の友と出会ったのも全て貴方。そして、こうやってパチスロライターを続けていられるのも、間違いなく貴方があったからだと思っています。

閉店からもう15年以上。でも、目を閉じて少し思い浮かべれば、あの頃の活気あった店内が甦ります。何が「オール女性スタッフのホール」だよ、店員みんな50過ぎのおばちゃんだけじゃねーか。そんな憎まれ口を叩いたりもしたけれど、本当に本当に大好きでした。

上野毛会館よ、たくさんの思い出と今の自分を作ってくれてありがとう。いつか、夢でもいいからもう一度遊びに行きたいよ。

(オノル)
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