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攻略人生録〜時代の証人、かく語りき〜

第19回:高級ソープに入り浸り!? プロたちの下半身事情

●1〜2号機が活躍した時代の日本

「アニマル」を皮切りに2号機は次々に解析されていくわけだが、今回は1号機が活躍し2号機時代に突入するまでの時代背景に触れていきたいと思う。1号機が登場したのは1985年(昭和60年)、そして2号機が登場したのは1988年(昭和63年)である。日本のバブル期は1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間と言われているが、一般庶民が好景気を実感し始めたのは1988年頃からであり、政府見解では1992年2月までこの好景気が維持されていたと考えられている。2号機突入時代は、まさにバブルがどんどん膨らんでいった時代だったのである。この頃の平均株価は3万円を軽く超え、中期国債ファンドなどに金を投じる者も多かった。不動産は日を追うごとに高騰し、マンションを買って人に貸し、価値が上がったら売る、という財テクをしている人も多かった。


●攻略法で儲けたプロたちは贅沢三昧!

当時の物価は何もかもが高く、30年も前なのに吉野家の牛丼が並盛りで370円だった。ゴルフブームで練習場はどこも満員。ゴルフ会員権も飛ぶように売れた。昭和62年(1987年)4月1日に国鉄がJRに名称を変え東と西に分かれた。山手線が103系から205系に変わり、部分的だった冷房が全車両になった。駅のホームにはあちこちに灰皿があり、中で燻った煙草がモクモクと煙を出している光景をよく目にした。現代は受動喫煙が問題になっているが、嫌煙者が昭和のあの光景を見れば卒倒することだろう。

ファッションは、軟派にはメンズビギやメルローズが、硬派にはPIASPORTSやディマジオなどが流行っていた。Kのお気に入りもディマジオで、毎日のようにパチ屋に着て来ていた。また当時はパンチパーマが大流行し、パチ屋の店員もパンチをかけている者が…

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