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サイコロ店長のスロ専奮闘記

店長目線でのパチスロ@

原稿をすべて書き終わった後に、他の業界人コラムに目を通すサイコロ店長です。タイムリーなネタは仕方ないにしろ、ネタがモロ被りでは、新鮮味に欠けちゃうもん。

今回は、店長目線でのパチスロについて。9月16日更新のPOKKA吉田氏のコラムと少し被るので、ソチラも併せて読んでみると面白いかも。

では、まずは私のパチスロ遍歴から。

1.5号機でパチスロ初体験。ナイアガラトロピカーナで華々しくDEBUTを飾る。アルバイトでシコシコ貯めた軍資金が一瞬で消滅する様は、まさに快感。今のMっ気は、この時の体験が尾を引いているのかも。

2号機の登場で本格的にのめり込む。センチュリー21リバティベルV、そしてリバティベルWにどっぷり。時代はUNIVERSAL系機種の全盛期だ。後に化ける初代アラジンも、同時期に登場している。

当時は、まだファン向けパチスロ誌は存在しておらず、パチンコ誌の一部で新機種を紹介していた程度だったかな。

パチスロ専門店が乱立したのは3号機初期。それまでパチンコ店の一部として営んでいたジャンルが、単独でも商売として成立するまで、成長を遂げた。

SINGLE BONUS集中TYPEとして人気を博したコンチネンタルVやBONUS STOCKのワイルドキャッツなど、波が荒い機械が続々と出回る。ミラクルなどのBONUS獲得枚数変動型も登場し、一気に活気づいた時代。

私はといえば、アポロンリノセブンボンバーなど、意図的なBONUS連チャン機に夢中の日々を送る。堕落した人生のSTART地点でもある。

なお、2号機と3号機には、各メーカー発売出来る機械の数に制限があった。そのため、新台導入のスパンが長く設けられている。年に3回とか4回とかね。

その台数制限が解除されたのが4号機以降。同時に、REPLAYという(当時としては)不可解な小役が搭載された。現代パチスロのBASEが形成されたのだ。打ち手は全員、「REPLAYではBONUSは抽選されない」と思っていたもんね。いや、マジで。

それまでのパチスロ専門店は、小規模店舗が多かった。だがこの時代から、200台300台を超える大型専門店の出店が目立ち始める。パチンコと併設で1,000台規模の店舗も、地方を中心に続々と名乗りを上げる。

パチスロ黄金期とも呼べるこの時代。打ちまくった機械は、それこそ星の数ほど。個人的に想い出深い名作を、数機種PICKUPしたい。

コングダム(山佐)純粋なA-TYPE。テトラリールで大興奮。
おいちょカバ(山佐)業界初!BONUS絵柄が「3揃い」の変態機。
サンダーV2(メーシー)業界初、ペプシマンとの大型コラボか?
ホットロッドクイーン(オリンピア)STARTレバーON→無音→BONUS確定の始祖。

1.5号機から2号機3号機、そして4号機へ。

業界は、時代背景に合わせた変化を成し遂げてきたのか。それとも単純に、金儲けしか頭になかったのか。

そんな時代でも、ユーザーのニーズにマッチしていたのは、紛れもない事実だ。

5号機の登場で、機械自体の射幸性は大幅に制限される。かつての機械の様に、一撃万枚というBIG DREAMを得る機会も極端に少なくなった。

個人的には、SHAKEUエヴァシリーズに夢中の日々。忘れてはならないのが私の中の最高傑作、サクラ大戦3巴里ね。いずれも5号機初期〜中期にかけてのハナシだけど。

当時、散々叩かれたスペックでも、今となっては貴重な存在。そんな時代も、もうすぐ終焉を迎えるのかなぁ…

どうやら今回は、私のパチスロ想い出話でページが埋まってしまったようだ。
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